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nikki

8月は一歩も外に出ない、というおっさんの縛りプレイ

セミ, Bulma, テクノロジー, ロン毛1 min read

ドラゴンボールのブルマとCSSのBulma

少しばかり日記が空いてしまった。
この日記は純粋に日記それ自体を書こうというモチベーションがあるときにだけ書くようにしているので、 まあ、最近はあまり日記を書いている余裕がなかったということなのかもしれない。

なんだか気がつけば毎日あくせく行動しており、7月後半に書いた文章もこの中には混じっている。
7月後半頃、私はCSSフレームワークのBulmaを触っていたようで、それに関する画像なんかもこのディレクトリには入っていた。

bulmaの画像検索結果

bulmaで検索するとドラゴンボールのブルマが出てくる、ということを当時の自分は書こうとしていたようだ。
まだその頃から一月も経っていないと思うが、なんだかひどく昔のことのようにも感じる。

娘はいつの間にか、つかまり立ちするようになり、ハイハイ(ずり這い)のスピードも上がってきた。
(そしてめちゃくちゃエネルギッシュだ。ずっと元気なままで、100%の力で向き合っていたら過労死必須な状態となっている。)

彼女の成長スピードを日々感じながら、自分も負けじといろいろと動いていた。
夜になるとクタクタで布団に吸い込まれるように眠るが、充実はしている。
この動きを成果につなげるために、今は日々動くのみだ。

ちなみにこの文章自体は、Rubyの2.7.1をローカルにインストールしている最中に書いている。
Rubyのインストールはいつもかなり待たされる印象がある。
(rbenv経由で行っているが、直接インストールしたときも結構待った記憶があるので、たぶん関係ない思う)
今回も例外なく待たされているので、この日記の更新時間に当てることにした。
久しぶりにRubyを触ろうとしているが、少しワクワクしている。Rubyは書くのが楽しい言語、という言い方をよくされるが、なんとなく分かる気もする。

8月は一歩も外に出ない、という、おっさんの縛りプレイ

8月に入ってからというもの、一気に夏がその本領を発揮しているようだ。
外ではセミの声が真夏のスコールのように地面全体を覆っているし、刺すような日差しが外を歩く人々を容赦なく照らし出している。

私は暑さとセミが苦手である。
特にセミは歩み寄りの余地がないほどに苦手で、あの中身がぎっしり詰まったマッチョなフォルムと、プログラムでは再現できないようなランダム性を伴った動きは(そう、奴等の傍を通るときはその想像できないランダム性を受け入れた上で、避けるということをしなければならない。無理だ)、 頭に思い浮かべるだけで悪寒が走る有様である。
それらは遠くで聞いている分には風情を感じる音なのにも関わらず、目の前にいると私にとっては精神的に害をなす存在となる。

そんなセミが今年も大量に出没し始めたという事実は、今年の8月こそは一歩も外に出ないと私に決心させるには十分すぎる現実であった。
というわけで、今年の8月は一歩も外に出ないで生活する、ということを目標にした。(追記:今も絶賛継続中である)。
すべての用事は妻に依頼し(マジ感謝)、玄関から外へは一歩も出ない。
冷房が効いている室内は快適だし、私の場合、家の中だけで満足の行く生活を送ることが可能な性分なので精神的にも実に快適だ。

友人から、ガチ引きこもり生活をYouTubeでずっと配信し続けたら良いんじゃない? と提案を受けた。
たしかにそういうのも面白そうだ。問題はそういうのをすぐに動画配信に繋いでいけない、自身の企画力のなさにある。
こういうときにさらっと次の日から配信できるようなフレキシビリティが今の自分には足りない。
今の自分がすぐに配信を開始しても、汚い30代のおっさんが引きこもっている様を配信するだけとなってしまう。
誰が汚い30代のおっさんが家にいる姿を見たいだろうか? 

1「はい、どもー、今日は作曲をしていこうと思いますー。90年代前半のUSオルタナっぽい曲を作りますー」
2難しい顔をしながらギターポロポロ、か細い虫の音のようなハミング...

よほどの物好きでない限り、それはただの地獄絵図である。

おまけに今年は髪を伸ばすことも目標にしており、いま、ロン毛っぽい状態になっている。

私としては、シングル"Shade"を出したあたりのDragon Ashの降谷建志を経て、最終的にはThom Yorkeのようなスタイリッシュなおっさんを目指したいところだけど、
悲しいかな、現実は、ただの髪の毛に気を使えていないおっさんである。

だれがこんな髪の毛に気を使えていない、汚いヤベーおっさんの配信を見るだろう?
と卑屈になって行動につなげていけない、そんな自己肯定力のなさとフレキシビリティ不足を改善する必要がある、とこれを書きながら感じた。
精進していこう。

ロン毛のJohn lennon

これはロン毛のジョンレノン。ちなみにこの感じも目標の一つです。

テクノロジーの進化と人類について

寝る前にMacBookProの充電を切り忘れてしまうということを、半年に一回ぐらいはやってしまうのだが、 それが実際にMacBookProの電池に対してどれほどの悪影響があるのだろうか? と気になって調べてみた。

そして、先日はAirPodsを充電をしたまま、寝た。
AirPodsのときも「やらかした〜」と思いながら、過充電によるバッテリーの消耗について調べた。

どうやら結論から書くと最近のハードウェアは過充電を防ぐための仕組みが既に備わっているようで、あまり気にしないでも良さそうだった。
たしかに充電しっぱなしでも特にハードウェアが熱くなるということはなかった。
(勿論細かく見ていくと、そんな単純な話ではないのかもしれないが、そんなことをいちいち気にするほどに人生は長くないので、そこまでは考えないことにした)

我々の生活は確実に便利になっていっているようだ。
あらゆるもの・ことが便利になっていき、我々人類の生活をより適切にサポートしてくれるようになれば、我々人類は更に退化していくことだろう。

10年前と比べると、今の生活は格段に便利になっている。
CDを蔦屋でレンタルしてきて、iTunesに取り込む、なんてことを当時の自分はしていたわけだ。
どこどこの蔦屋にはこのCDが置いてある、蔦屋すげー! なんて感動は今の時代には存在しない。
蔦屋でCDをレンタルするときに小銭を出して、ちょうどきっちり小銭で出せる! なんていう小さな感動も、もうないわけだ。いまじゃ、iPhoneをかざして全てが完了する。

別にそういう感動が恋しいとは思わない。世界はもっと便利になるべきだし、あらゆる物事が面倒くさい。「俺は自分のしたいことしかしたくない。後は誰かやってくれ! !」という性格なので、 こういうふうになるのは大歓迎なのだが、 はてはて、こういうふうに便利になっていこうと、誰もが10年前と変わらずに疲れていて愚痴をこぼしている気がする。
たぶん、そういう意味で人間というのは変わらないもののような気がする。

いくら世界が便利に、平和になっても、同じように疲れて・愚痴っているのだろう。
(そして変わらずに笑い、楽しんでいることだろう)

というわけで、テクノロジーが進化しても人間は何一つ変わらないんだろうな、と最近は思っている。
この世界というのは、ソフトウェア(世界)がどんどんアップデートされても、そもそもの中身のデータ(人間)がずっと更新されないままのソフトのようなものなのだと思っている。
別にそれが残念ということはなく、そういう生き物なのだろうなとしか思わない。
アリにはアリの習性があるように、それが人間の習性のようなものなのかもしれない。

諸行無常という言葉があるが、人間という生き物それ自体に目を向けると、ある意味では全く逆なのかもしれないと思う。
この世の万物は常に変化しているが、人間そのものは何も変わらない。ゲームの中で常に同じことばかり呟き続ける、ただのNPCの如きもの。
そういうふうに考えてしまうと、一気に無情感が出てしまうので、希望とか進化とかアップデートとか、そういう言葉で現実を彩っているのだろう。

などと考えていると、生きるということが少し味気なくなってしまうので、 自分の大好きな人達とたくさんの時間を共有し、自分の好きなことに思う存分のエネルギーを注いでいく人生をこれからも全力で送っていきたいと改めて思う。
人間が進化するとかそういう話はぶっちゃけどうでも良くて、俺と俺の周りが楽しい人生送れてりゃ、まずは幸せ!
そんな方針を打ち立てて生きていくのが一番楽しいし、そういう考えが結果的に世界をもっと楽しくするのかもしれない。

駄文を垂れ流しすぎた。

自分が死ぬその日に、良い人生だったと思って目を閉じれるように生きていこう。