— SNS, Oasis, Next.js, 個人開発 — 1 min read
今朝、面白いことがあったので書いていく。
人間の心理に関する話だ。
私はTwitterのtabindex
に関する挙動を見ていた。
それはよく出来ており、フォーカスの移り変わりも見た目にも実に分かりやすく、とても勉強になるものだった。
試しにタブの挙動だけで該当するツイートを削除できるかを確認してみた。
それは実に分かりやすい挙動で削除までスマートに完了できた。
...少し経ったあとで、自身がツイートを削除したという事実を認識した。
朝だから少し寝ぼけていたのかもしれないし、今日実装するコードのことを考えていたからかもしれない。
ただ、消したツイートは特別重要なものではなかったし、別に消えたところで誰も困るようなものでもなかった。勿論私自身、何も困らない。
それは朝食中にグラスの水を少しこぼしたぐらいの、小さなアクシデント
にすぎないものだった。
だが、その少し後で、自分がツイートを消した、という行為が妙に後ろめたいことであるように感じた。
繰り返すが、消したツイートはなんてことのないツイートにも関わらずだ。
私はまるで炎上のもとになるような都合の悪いツイートを、今しがた消したかのような錯覚に陥った。
「おいおい、俺のツイートのどこになんの問題がある?」
頭の中で自問自答しても答えは何もでなかった。
SNS疲れ、という言葉をよく耳にするが、たぶん今私が経験したなんの意味もない自問自答
もこれに該当するだろう。
私は自身の行動を振り返り、自身の行動になんの後ろめたさも含まれていないことを5回は確認することになった。
おかげで冷蔵庫の中でキンキンに冷えていたアイスコーヒーはぬるくなり、これから書こうと考えていた頭の中にあったはずのコードは子供の落書きのようなおぼろげな形に変化をし始めた。
私はTwitterがもたらした(勿論、Twitterは何も悪くない)意味のない時間を呪い、少しばかりクールダウンする必要に迫られた。
自分がナイーブすぎる、というのも多分にあるだろう。
この一連の流れだが、何一つ問題がないことに対して苦しんでいる様子は、自分で振り返ってみても非常に滑稽だと思う。
まるで呪術師に呪いでもかけられたかのような気分だが、その根本は己の心のなかにある。
人間の心理とは実にもろく、ちょっとした細工を施すだけで簡単に壊れてしまうのかもしれない(私だけかもしれないが)。
もし自分がOasisのリアム・ギャラガーみたいにワイルドな気質を持っていたら、どうだろうか?
てめえは、そんなてめえ自身のどうでもいいことについて考える余裕なんてあるのかよ?
そうだ、私にはそんなどうでもいいことに時間を使う余裕なんてなかったのだ。
だから、こんなどうでもいい文章もここで終わりにしよう。唐突に。簡潔に。
Next.jsをここ数日集中的に触ってきて、少しだけ自分が今実現したいことが見えてきた。
いかにサイトを小さな規模で運用していくか? という課題の中で、サーバまでできるだけリクエストを通さないようにするにはどうすればいいか? をフロントエンド側からは考えるようになった。
そういう意味でNext.jsのSSGはしっかり活かしていくべき、というのが今の自分のモードになりつつある。
Next.jsでSSGなんて、それってGatsbyやん? などと最初は感じたりもしたが(自身の理解力の乏しさがバレるが、まあ良い)、実際に触れてみると、そもそもの立ち位置が違うということに気付かされる。
頭の中でしっかりまとまったら、どこかにちゃんと書くかもしれないが、最近こういう文章を書いている時間が惜しいと感じるようになってきているので、書かないかもしれない。
マルチスレッドで動ければいいのだけど、あいにく自分はシングルスレッドで、おまけにメモリの要領も殆どないのだ。悲しい現実だ。