— 駄文 — 1 min read
nikkiの更新をしばらく行わないでいた。
意図的に行わなったわけではない。私ははてなブログでもブログを書いているが、そちらのブログと書く内容が似ているため、こちらに書けそうなことははてなの方に書いていたような気がする。
なんだかんだで、はてなブログはログインして好きな文章を書いて公開ボタンを押せば公開できてしまうので、そちらのほうが楽というのもあるのかもしれない。
まあ2020年にもなって、自分で日記をbuildしながら、記述内容をチェックして、というのも時代錯誤かもしれない。もちろんリリース作業自体はCIが行ってくれているわけだが。
ただ、まあ今日は2020年12月31日だし、ちょっとした気まぐれでこちらに文章を書いてみようとおもった次第である。
2020年をおもったとき、やはりコロナ1色だったなと感じる。
我々の活動できる範囲に大きな制限もかかったし、社会全体での生活様式やビジネスに大きな影響を与えた。
そんななか(というか、コロナだけではなく、セミが嫌いだからだけど)、夏の間は一歩も外に出ないという試みを行った。
試みは成功し、夏の間ぐらいであれば妻子持ちのおっさんでも引き込もれることを知った。QOL低下は感じなかった。ただ、これは妻の多大なる協力があってのこと。来年、セミが怖いからと言って外に出ない選択肢はなさそうだ。子供も外に出たがるだろう。
今年は近しい人との別れも経験した。
死、というものは普段の日常では姿を隠しているが、気づくとすぐ近くにいる、というのを改めて気付かされた。
当然ヘビーな体験だったが、受け入れるしか道はなかった。
自分がやれることを日々やっていくことしか、自分にはできない。
ジタバタもがかずに、ただそれをやることしかできない、という無力感と悟りのような感覚を抱いた。これが来年には変わっているかもしれない。結局のところ、私の感情というのはその場限りなのだろうか?
そういうことを確認するために音楽を作り、このように文章を書いているような気がする。
今年はコロナ禍のあおりを受けて仕事をやめることになった。というわけで、今の私は失業者である。
だいたい2年と少し働いたことになるだろうか。自身の中ではそろそろ次のことをやりたい時期にも差し掛かってきていたし、失業に関してネガティブな感情はない。心持ちは割と晴れやかである。
また、家族もそのことについては理解してくれているので、ありがたい限りだ。
自分としては初めてのスタートアップだった。ずっと憧れていたスタートアップ業界でしゃかりきに働いて見えたことは多い。
ソフトウェア・エンジニアとしてとても鍛えられたし(入社当時は自分の無力さに絶望した。文字通り、本当に絶望したのだ)、あらゆる側面において良い体験をさせてもらった。
来年がどのような年になるかはわからないが、いずれにせよ自身にとっては次のステージとなるだろう。
ひたすら精進していくつもりだ。
今年は改めて情報を得ることの大切さと怖さに気づいた年でもあった。
情報を仕入れるにあたって気をつけていること というポストをはてなブログの方でも書いたが、インターネットで皆平等に情報を仕入れることになった現代だからこその弊害が出てきていることに今更気づいた。
また私はお金というものに対して無知だった。
無知なまま、これから先歩いていくのはあまりに不安だと思い、お金に関することを色々と調べることにした。
具体的には税金のことや保険のこと、資産運用のことなどだ。
保険の契約を見直し、年金の制度について調べ、今後取っていくべき資産運用に関して様々な情報源を見たりしている。
私は20代の頃は年金なんて払っても、将来どうせもらえないんだろう?と考えているような人間だったが、実際に年金の仕組みを調べてみると、そんな簡単に言いきれるような仕組みでもないことを知った。
年金に対して不審・不満をいだいているのなら、まずは年金について調べてみるのが良い。
年金制度の現状がどうなっているのか?
たしかに年金については収縮しているし、今と同額をもらうのは難しそうだ。だが、そのような事態になった場合の対応策なども国は用意していることを知った。それに当たるのが確定拠出年金やNISAなどの制度、というのが今のところの自分の理解である。
ここについてはまだ調べている段階なので、来年も引き続き調べていく予定だ。
ただ、知らないまま不満を述べている人間になってはいけない、という当たり前のことにきづいた。
自分で調べて行動していかなければ道は開けない。当たり前のことだが、意外とそれを実践するのは難しい。
また、会計の知識が自分には皆無だったため、簿記の学習も行い始めた。
簿記は考え方に癖があるため、自分の頭では独学は無理だと判断し、通信講座を用いて受講することにした。
実際にやってみると、これがなかなか難しい。そもそも数字に拒否反応が出るため(まあ、これでよくエンジニアやれたなとは思うけど...)、なかなか頭に入ってこない。ただ、これはひたすら続けていくしかない。
ちなみに簿記は頭で理解するだけでなく、ちゃんと実際に問題を解きながら体で覚えるタイプのものだ。だから、たくさんの問題をときながら技術を体になじませていく必要がある。なかなかツライがこれはやるしかあるまい。ここで得た知識が来年以降の自分の人生に大きく役立つことは間違いないという実感がある。
今年も相変わらずビートルズは聴いていた。
ビートルズは彼ら自身が動かなくとも、毎年のようにリミックス版や、〇〇エディション的なものが出ている。もちろん今年も出ていた。
また出ているよ、などと斜めから見たりもしてしまうが、ビートルズ好きの自分としてはいざ聴いてみると、やはり良くてしみじみと聴いてしまう。
今年はマッカートニー3もリリースされた。ちょうど今月だ。
ポール・マッカトニーは私が最も尊敬している人間だが、彼のポテンシャルは本当に計り知れない。
子供のエネルギーに翻弄されて疲れ切っている場合ではない、とポールの音楽を聴くといつもエネルギーを与えられる。
そういえば今年は髪を伸ばし続けた年でもあった。
先日、1年以上ぶりに美容室に行ったが、もうすっかりロン毛のオッサンとなっている。傍から見たら割とやばいオッサンだ。おまけに妻子持ちのくせに無職と来ている。見た目だけじゃなく、社会的にもやばい。
最終的には上の写真にあるジョン・レノンのようになっていることが目標だが、ここまで髭を伸ばすというのは少し大変である。
というか、こんなに髭を伸ばして食事のときにつかないわけがない。私はソースがヒゲにつくのが嫌いである。そのため、ここまで髭を伸ばすことはしないかもしれないなと今思った。
まあ、とりあえず髪はもうしばらくロン毛のままである。
好き勝手に書いてきたが、まあ、こんな感じだ。
書き残したことは大いにあるような気もするが、そういうものを手繰り寄せている時間は自分にはないような気がしたので、この文章はこのまま投稿されるだろう。
そういえば、今までしゃかりきに動きがちだったが、来年はあえてしゃかりきに動かない、というのも試してみたいところだ。
例えば、1日4時間の労働にするとか、週3の労働とか。
そういうことは可能なのか? まだ調べていないのでなんとも言えないが、可能性は0ではないだろう。
やりたいことに全力で向かい続ける人生を送るように今まで心がけていたが、そうじゃない考え方もあるのかもしれないと思ったりもした。そういうものが自分にあっているかはまた別の話だが、様々な世界に触れてみるのは決して悪いことではない。
まあ、そんなわけで、2021年もこんな調子で駆け抜けていこうと思う。